生きてればいいよ。

新卒で青年海外協力隊。任期満了後もベナンで家庭ごみ収集屋をしている若者の生きざま。

ごみの世界を這う

ごみ収集は社会の重要なインフラでありながら、進んでやりたい人があまりいない。

 

ごみが収集されないことで生活環境は汚れる。放置されたごみからは悪臭がし、害虫や害獣がわく。汚いごみ集積場には、うじ虫、ゴキブリ、ネズミ、ムカデなどがいる。私がごみ収集員として働いていた際、ある収集員は黙々と対処し、ある収集員は愚痴を言いながら作業していた。ごみ収集員の中には、自分の仕事を聞かれたとき「運送業」と偽って答える人がいるそうだとも聞いた。

 

西アフリカ・ベナンでごみ収集を行う団体の経営に関わっていると、これは身近に感じられる。例えば、自分の家がある地区のごみ収集は担いたくないとか、ごみ収集作業には監督者が必要、とか。前者は友人や家族に仕事している姿を見られたくないからで、後者はごみ収集員をやりたがる人はそもそもあまりいないため、収集忘れや荒い運転を防ぐために監督者が補うのは致し方ない、とのことだ。

 

ごみ収集員として私たちの団体の事業を支えてきてくれた人たちはいずれも10~20代の男性だった。私たちが最も信頼を置いていた収集員は学校教育を受けておらず、公用語のフランス語を話せなかった。

 

ごみ収集という仕事は、ベナンにおいてもフランスにおいても、囚人、老人、あるいは清掃動物(豚)によって行われてきた歴史がある。囚人は過去を悔い改め社会に貢献するため、老人は仕事をリタイアしても社会に価値を生み出すためだろうか。豚は生ごみや排泄物を食べるので、衛生上問題になるまでは都市清掃で活躍していたし、今でも生ごみは養豚に活用されている。

 

同じごみ収集でも、違う自意識を持ち、違う印象が与えられる人々もいる。ごみ拾いイベントの企画者・参加者や、ごみに関するソリューションを構築しようとする起業家だ。こうした人たちはあくまでも、「毎日」「仕事として」ごみに触るわけではない。

 

研究ではどうだろうか。ごみの研究者でも実際にごみに触ることには大きな抵抗がある人もいるそうで、生ごみに触るある調査の際は、長靴、頭までかぶる防護服、重厚そうなマスクなど、全身防備が印象的だった。研究者との出会いを介して、ごみの資源化に先進的に取り組む自治体にも出会った。ごみに関わることへの劣等感とは程遠く、取り組みのポテンシャルと仕事の面白みを熱心に語る姿に、未来に貢献していることへのやりがいと誇りを感じた。

 

同じごみでも、社会的な階層やごみへの認識は様々なようだとこの数年間を通して知った。公衆衛生の維持・改善、環境負荷の軽減、循環型社会の形成などと、ごみが社会に対して持つ意味合いも異なる。重層的で多面的なごみの世界で、社会から周縁化されるごみの仕事を中心に据える研究や事業が私はしたい。