生きてればいいよ。

新卒で青年海外協力隊。任期満了後もベナンで家庭ごみ収集屋をしている若者の生きざま。

お腹がいっぱい、頭もいっぱい

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少し気分を変えたいときに歩いて本屋に行くのが好きで、昨日も家から15分くらいの本屋に行ってきた。散歩で前を通ることはあるものの、お店に入ったのは2か月ぶりくらいだろうか。

 

入口に隣接しているカフェはとても混んでいて、レジには行列ができていた。年の瀬、家族やカップルが温かい飲み物を飲みながらおしゃべりするのだろう。近くの公園でも親子連れが遊んでいたり、フルートの練習をする若者がいたり、平和な時間が流れていた。

 

興味を持った雑誌をパラパラ見た後に店内をぐるっと一周して、興味を惹かれた本があれば手に取り少し立ち読みするのがいつもの流れで、昨日もそうだった。そうして昨日手に取った本は、家族との日常を切り取った写真集と、食に関する本と、養老先生が書いた生き方に関する本だった。

 

最近の関心事の一つでもあった、飽食と心のありかたについて思ったことを書こうと思う。

 

最近、「飽食」という言葉やそれを連想させる言葉が目に付くのは、私自身お腹がいっぱいだと感じているからだろう。

私は毎日、朝8時半頃から、少なくとも日が落ちるまでは大学にいる。考えることや作る書類がたくさんあり、それらの作業をするために大学に行くのだが、最近はどうも机の右下の引き出しに手が伸びてしまうことが多かった。右下の引き出しにはここ一週間くらい、八百屋さんで買った干し芋と落花生が入っている。おいしくて、干し芋をかじってしまう。そして干し芋はこれまた腹持ちが良い。

 

なんだただの惰性か、と思うかもしれないしおそらくそうなんだけど、常に身体に食べ物が補給されていて、しかもそれに少し後ろめたさを覚えるような食の行動は健康的ではないと思う。

 

これは、最近図書館で借りて読んだ本『江戸・キューバに学ぶ”真”の持続型社会』で書かれていた「大量生産、大量消費、大量廃棄」を前提とした現代社会を私一人の行動で体現しているような気持ちになった。このような社会は無論、持続型社会として描かれていない。

 

文字通り手の届く場所に食べ物があり、あるいは少し歩けばスーパーやコンビニに溢れんばかりの商品が売られており、お金があればすぐに食べ物と交換できる。食べ物が単に「ある」のではなく「売られている」ことは、誰でも自由に食べ物が手に入るわけではない状況だけど、少なくとも私は今日明日の食事に困るほどではない。この意味で、私の日常では「食べたい」気持ちをすぐに「食べる」行為につなげることができる。結果、常にお腹いっぱいでいられる。

 

食べる量やリズムは、自分のパフォーマンスに直結している。勉強に集中したければお腹いっぱいまで食べるべきではない、とよく耳にする。午後一発目の授業が眠いことは多くの人が経験していると思うし、腹八分目でやめることが健康的だとも聞いたことがあるだろう。定期的に断食することで身体のデトックスを狙う人たちもいる。また、幼い頃からやっていた水泳では、練習やレースの前にたくさん食べることはしなかった。

 

身体に適した食べ物の摂取とは、食べ過ぎないことなのだ。この飽食の社会においても。

 

他方で、もちろん食べ物だけが個人のパフォーマンスに影響するわけではない。人との関わりで得る刺激、楽しさや、脳が目覚め活動するあの感じ。人との交流が少ないと、脳はいつまでも眠ったままのように感じる。発話も大事だが、瞬発的な受け答えで脳が目覚める。自分一人で悶々としていても得られないような視点をもらうことも多い。冗談を言って笑ったり、顔の筋肉も動かす。

 

それが十分にあれば、最近の私は干し芋で満足を満たす必要性にきっと駆られなかっただろう。ところが干し芋を食べ、自分の心の弱さを悔んだりする。余りある食べ物は脳にも心にも良い影響を与えない。

 

干し芋の誘惑に負けたことを猛省する文章になった。この記事で書き留めておこうと思ったのは、食べ物でお腹は満たされているが、人との交流が少ないことで思考が飽和している最近の有り様であった。

 

人と関わらない日々が続くと、人の輪に自分から入ることがどんどん億劫になって行く。特に大人数での集まりに参加させてもらうことは大きなエネルギーを必要とする。だから行かなくなる。これは悪循環だが、良くない、直さないといけないと思いプレッシャーを与えるのもこれまた良くないと思い、自分の気分に従っている。

 

はたしてこの日々をどこまで続けるのだろう。

 

 

参考文献

内藤耕、石川英輔、吉田太郎、岸上祐子、枝廣淳子(2009)『江戸・キューバに学ぶ”真”の持続型社会』B&Tブックス日刊工業新聞社.

藤原辰史(2020)『縁食論―孤食と共食のあいだ』ミシマ社