大学4年生の頃の半年間、東京であるNPOのインターンをしていた。
そのNPOはインドの人たちの支援活動をしており、職員の方々は中低所得国での仕事や滞在の経験が豊富な方が多かった。月に一度、職員の方と食事を一緒にする機会をインターン生のための制度として設けていたが、人に積極的に話しかけることの少ない私は、部署の方々によく連れだしてもらっていた。
部署のマネージャーを務めるAさんとの、ある日のランチでの会話をふと思い出したので、この文章を書いている。この方は、海外の大学院を卒業していたり、国際機関で勤務経験があったりと、私からしたらバリバリに仕事ができて華のあるキャリアを歩んでいる方だった。
そのNPOでのインターン期間中、色々なことがあり私はあまり元気がなかった。その様子を見て、Aさんはこんな話をした。
「数年前に出張でインドに行った時、あるビルに用事があった。エレベーターに乗ると、エレベーターのボタンを押すだけの仕事の人がいた。私が上の階で用事を済ませて降りる時も、その人はエレベーターにいた。この人はきっと必死で生きていて、余計なことを考えたりする暇もないのだろうと思った。私も悩むことがある。悩むことができるのって、それだけ時間と心に余裕があるってことなんだと思う。」
なぜこの話を思い出したか?
それは、ここ最近私がずっと結論を出しかねていることがあるからだ。
現在の修士課程を終えた後どうするか。
これまで、上記のNPOのような低中所得国での事業に関わる人々との出会いが私には多くあった。青年海外協力隊を通して出会った日本人の方々は帰国後、在外大使館、JICA、民間の開発コンサルタント企業などでキャリアを積んでいる方も多い。
大学生の頃私は、JICAで働くことにあこがれていた。旅行を通して、低中所得国での異文化に囲まれた環境が好きだと思ったし、きっと、社会的に意義があり自分にできることを考えるのが好きだったんだと思う。
机の上での勉強や議論だけでなく現場を経験したいと思い、青年海外協力隊として派遣される機会をもらった。すると、自分の至らなさを直視する機会が山ほどありながらも、自分にできそうなことで、かつ自分しかやらなさそうなことを見つけた。
それが、ベナンの仲間たちが現在まで現場で取り組んでいるごみ収集事業の、共同立ち上げだった。
これまで「やりたいこと」を中心に考え選択してきた私は、「すべきこと」に中心軸をシフトするときなのかもしれない。ベナンでの事業を人生の中心にしていくなら、私はベナンにいて彼らと現場で試行錯誤すべきだと思うし、必要な知識をもっと学ぶべきだと思う。
「すべきこと」にはただ楽しいだけではなく、大変なこともたくさんある。
それを決断するかどうか、今の私にはそれだけなんだと思う。