生きてればいいよ。

新卒で青年海外協力隊。任期満了後もベナンで家庭ごみ収集屋をしている若者の生きざま。

私が目指すものは

先日のビジネスコンテストでピッチを見てくれた方から、私や他のファイナリストの方へこんな質問があった。

 

「みなさんの最終的な目標や夢は何ですか」

 

今回のビジネスコンテストや現在の大学院での日々から、色々なことを思う。

 

その時私は、「現在事業を行っている場所で、収集から再資源化までの一連の廃棄物管理のモデルを創り、それをアフリカの他の都市に拡大することです」と答えた。同じことを4月の入学直後のある授業の自己紹介でも答えた記憶があり、そう思っているのだと思う。だが、そうなんだろうか。

 

そうなんだろうか、と思う点は2つある。

1点目に、拡大してどうするのという点。

2点目に、それは常に「廃棄物管理」なんだろうかという点。

 

モデルを創って拡大してどうするの

拡大した後に、そこにどんな社会があるか。ごみが適切に管理されるようになると、もちろん生活環境はきれいになる。例えば、日本のように道にごみが見当たらなかったりするだろう。それは人が生きる環境の整備という点で重要な成果だと思う。

 

でも、ただ仕組みが整うだけでいいんだろうか。アフリカ中に、お金の面で持続するごみの管理の仕組みが普及するだけでいいんだろうか。

 

私にとって大切なのは、生活環境の清潔そのものではなく、それによって人の不快感や複数の人々の間で不和を生むような状況なんだと思う。私は、今から20年~15年前の幼少期をタイの首都バンコクで過ごし、道端の野良犬や、屋台からの排水の垂れ流しや、排水溝のにおいに「慣れていた」。だから、不衛生な環境に衝撃を受けるというより、私自身はむしろ親しみをもつ。

 

日本ではごみの最終処分場をめぐって東京ごみ戦争が1970年代にあったが、特に生ごみは腐敗すると臭いしハエがたかるし、重金属やプラスチックが自然の環境中に投棄されていると環境汚染だと言い煙たがられる。そういう性質を持つごみは、日常においてもプチ紛争を起こす。例えば、ごみ集積所を共有するマンションなどでは、住民のごみ出しマナーが悪化しごみ収集員に持って行ってもらえないことを防ぐために、管理組合などで周知がされる。

 

私たちがごみ収集事業を行うベナン共和国ジュグー市でも、ごみが日常生活で起こすプチ紛争を私は経験した。私自身ごみを収集してもらっておらず、他の人と共同のごみ箱を使っていた。そのごみ箱のごみには時々誰かが火をつけ、灰にしてかさを減らしていた。灰がいっぱいになってくると、家の横の空き地の一角に捨てていた。

 

私が住んでいた2軒隣の家の人たちは、洗濯や皿洗いに使った排水を、私たちが灰を捨てる場所に捨てていた。空き地のその一角を共同で「汚し続けていた」2軒隣の夫婦は、時々その場所に火をつけて、燃え切っていないごみを燃やしていた。そういうタイミングで私が帰宅すると、「ごみがこんなに近くに捨てて行って汚くていやだ」とよく言っていた。

 

私が衛生改善活動をしていると言うと、ジュグーの人たちはよく「ジュグーは汚い」と言っていた。ジュグーから東にバスで2時間ほどのパラクー市や、北にタクシーで1時間のナチティングー市はこんなに汚くない、と。ジュグーの人たちは何を言っても聞かない頑固者だ、と。

 

ベナンの首都コトヌーや、南部の都市から来るベナン人も「ジュグーは汚い」と言っていた。仕事だから出張で来たり家族で赴任してきたものの、本当は汚いから来たくない、と。汚いことに加え、ベナンは南北で経済格差があり、南部の人たちからしたら、ジュグー市がある北部は田舎の辺鄙な場所というイメージもあるのだと思う。

 

さて、ジュグー市が汚いことが、住民、出張者、駐在者などに多少なりとも不快な気持ちを起こしていることを述べてきた。ベナンの人たちは大きな声で怒ったり笑ったり驚いたりするが、毎朝家でコーヒーを飲んでいるときに外から怒鳴り声がするのが私はいつもいやだった。怒鳴り声を聞くのは、小さい頃からいやだった。

 

ジュグー市をきれいにすることで、ごみのプチ紛争により響き渡る怒鳴り声を減らしたい。さらには不衛生な環境や行動を取り巻く怒鳴り声が、笑い声になるといい。そのために、笑い声に包まれる適切なごみの管理の仕組みを作り、拡げたい

これは自分本位な動機かもしれないが、原動力とはそういうものだろう。

 

ちなみに、JICAボランティアを終えてからごみ収集事業を始めた時の動機はこちらの記事に書いてある。

www.ricahirao.work

 

それは常に廃棄物管理なんだろうか

「笑い声に包まれる適切なごみの管理の仕組み」と書いたが、これは果たして「ごみの管理の仕組み」なんだろうか、というのが2点目の疑問である。何が言いたいかというと、廃棄物管理というのは一側面であってよくて、メインの意味付けは他の課題であるべきだと私は思っている。

 

例えば、私が気になっているバイオ発電がある。事業エリアである都市部で排出されたごみを使って、郊外の無電化地域の電力を賄えないだろうかと考えている。なぜなら、無電化地域に住んでいるだけで都市部より電気代が高く、それが不公平だと感じるからだ

無電化地域の人たちは電気の利用のためにソーラーパネルを用いているが、ちゃんと使えるソーラーパネルは都市部の国営電力会社の電気代(冷蔵庫無し一世帯約400円/月)で換算すると、電気5.75年分の価格(約27,600円)だとわかった。耐久年数は追加で詳しく把握する必要があるが、6年も正常に機能し続けるとはあまり考えられない。

 

人口が稠密していない郊外で持続的に発電する場合、分散型の仕組みを低コストで実現する必要がある。維持管理にかかる責任、手間、費用などは、井戸の共同管理のようにできるかもしれない。集金方法も、プリペイド式の井戸利用の技術の導入が日本人起業家のチームによりウガンダで行われている。

 

これに着手しジュグー市中心部のごみを郊外で有効活用するとしたら、郊外の人々への適切な価格での電気の供給ができると同時に、市内のごみの受け入れ先ができる。これは、廃棄物管理というよりはむしろ発電の意味合いが強い。郊外での発電により、都市部の人々へのpay backが何らかの形で行われれば、都市部の人々は喜んでごみを差しだすだろう。

 

笑い声で包まれる廃棄物管理の姿はきっと、別の意味合いを持つ事業の一側面としてごみの管理に貢献するのではないかと思っている。その中身が何であれ、関わる人々のポジティブな感情がネガティブなそれを上回り、かつ、生まれ落ちた環境に左右される不条理を乗り越えるものを創りたい

 

最近は、そんなことを思っている。