生きてればいいよ!

新卒で青年海外協力隊。帰国後もベナンで家庭ゴミ収集屋をしている、そんな若者の生きざま。

大学院入学から2か月のなんとなくの記録

 

2021年の4月、大学院修士課程の1年生になりました。

入学してから授業や課題や新しい土地での生活のことであわただしく、早くも2か月経っていました。

 

今日はゆっくりしたい気分なので、一息つきつつ今の気持ちを気分のままにつらつら書こうと思います。たいしたことは特に書きません。

 

毎日朝から晩まで机に向かえる幸せ

授業の課題に追われてはいるものの、毎日とても穏やかで、平和で、机に向かっていろいろな本や論文を読める毎日がとても有難いと感じています。こんなことあっていいのかってくらい恵まれた時間の使い方をしていると思います。私の場合、誰かに言われてやっているわけではないことって、純粋に楽しいんです。

 

4月の下旬からコロナの影響ですべての授業がオンラインとなりましたが、住居の環境の都合もあり私は毎日大学に行っています。よく顔を合わせる先輩方や同期の学生らはこれまた穏やかでいい人たちばかりです。一緒に暮らしている人たちも含め、こっちに引っ越してきてからというもの大体の人が人権意識がしっかりしていて言動に思いやりがこもっており、すごく育ちがよさそうに見えます。声をかけてくれ、輪に入れてくれ、食べ物を分けてくれたりします。

 

私は学部生の頃、大学院というところはものすごく賢くて勉強が好きな人たちしか行かないところだと思っていました。ところがベナンでのあれこれを客観的に見るヒントが得られそうだと思って、進学しました。

 

入学してみると、大学院に進学した理由は人によって様々っぽいことを知りました。大学4年生のころの就活に全部落ちたから大学院に進学したという人もいます。それで院試に受かるのはすごいですね。語学や絵や料理が抜群にできたり、深く深く考えよい質問をたくさんする人などがいます。総じて優秀だなぁとよく感嘆します。

 

なんにせよ人生は、その人の使えるお金と時間が許す範囲で自由です。私は、卒業するまでの2年間はこれ以上ないってくらいこのたっぷりの時間を味わおうと思います。研究の他に、何か技術を身につけようと思っています。

 

自分の思考の凝り固まり

私が在籍している専攻は、アフリカに関することを研究したい人が来ます。学部からストレートに来た人が私の同期には多く、アフリカに行ったことがない人もいます。そうした方々の考えを授業などで聞いていると、私自身がいかに凝り固まった考えをしているかを時々自覚します。

 

強みでもあり弱みでもあるのは、私自身がベナンに住んだことがあり、ベナンで喜怒哀楽をもって日々を過ごし、暑苦しいくらい気持ちを込めて色んな人と関わったことがあることです。

 

経験があるということは、それを考える土台とすることができます。ですが、自分の経験から逸れた風にはなかなか思考が及びません。これに関しては、どう付き合っていこうかまだ決めていません。ただ、ある教員の方がおっしゃっていた「大学院に来たことで、あなたがベナンで過ごした時間の意味付けができると思うよ」という言葉はなんだか印象的でした。どういう意味なんだろう?

 

都市の人間関係?

とある授業で都市に関する文献を輪読しています。読んだ文献のひとつに、当時の都市社会学に大きな影響を与えたという、アメリカの社会学者であるルイス・ワースの「生活様式としてのアーバニズム」(1938年)という論文がありました。

 

「生活様式としてのアーバニズム」はこの本に収録されています👇

近代アーバニズム (都市社会学セレクション1) | 松本康 |本 | 通販 | Amazon

 

都市では個々人は分節化されたパーソナリティにおいて他人と関わり、人と人との関りが匿名的、表面的、二次的などの様相を帯び、そうした人間関係の中で人々は控えめな態度をとる。そうしたことが論文で語られており、興味深いと思いました。そして、控えめな態度も要因の一つとなって、フラストレーション、そして自殺などの問題も起こることが指摘されます。

 

都市の人間関係が田舎と比べるといわば「冷たい」「よそよそしい」といったことは今でこそ「当たり前だろう」と思うかもしれませんが、この論文が発表されたのは1938年。今日までさほどニュアンスが変わらず議論されるようなことを指摘しているのはすごいですね。

 

さて、私がこの論文についてここで触れたのは、私自身も最近はすごく控えめな態度で、かつ「分節化された」自分でのみそれぞれの人と関わっていることをはっきり自覚しているからです。属している集団で関わる人とは、言ってみればお互いに演じている、あるいは期待されている役割の域を出ません。

 

自分を丸ごと伝えられないというのは寂しいことなのかもしれませんが、関わる相手が互いのそれぞれの役割のうちでのみ関わろうと思っている場合は、自分ばかり伝えたい思いが強すぎても迷惑かもしれません。そりゃあ、控えめにもなるかもしれない。

 

そんなことを考えてもいるのです。

 

まとめ

特に何も考えず書いたので何もまとめることがありません。

しいて言えば、ここまで肩の力を抜いてブログを書いたのは初めてです。