資本主義の未来に、私たちみんなが幸せでいられる社会はあるのか。
NHKの「100分de名著」という番組では、そんなことを私たちに投げかけていました。それを考えるヒントとして紹介されたのは、19世紀を生きた革命家マルクスの著作『資本論』です。
今回の記事では、NHK「100分de名著」のマルクス著『資本論』シリーズについて、内容のおさらいや感想をまとめます。同じく番組を見て色々と考えた方々に届けばいいなあ。
もくじ
「100分de名著」でマルクスの『資本論』が取り上げられた
2021年1月中、NHKのEテレでは4回にわたりマルクスの『資本論』が解説されました。
失業、長時間労働、環境問題など、資本主義によるしわ寄せが地球や弱い立場の人々に押し寄せている現代社会。そんな今日に疑問を投げかけるような内容に、考えさせられました。
「100分de名著」番組公式ホームページ
商品の分析から出発
『資本論』は、資本主義システムを分析し社会の問題を明らかにすることを目的として書かれました。マルクスは、私たちがお金を用いて売買する「商品」を分析するところから資本主義をとらえ直しました。
人間は労働を行い自然に働きかけ、商品を生み出す点で特徴的だと言います。作物を育てて食べごろにしたり、加工したりすることが例として挙げられます。歴史的に見ればお金を介さず利用できた社会の富、例えば水や公園なども商品となり、あらゆるものが売買の対象となりました。さらに、そうした商品の売買の流れの中で、人が商品に振り回されているのが現状だと指摘しました。
長時間労働の仕組み
そんな資本主義社会において、資本家は労働者を雇用して商品を生産します。商品を売って手に入れる利益から人件費を差し引いたお金が、最終的に資本家の手元に残ります。労働者を働かせ、商品を生産するほど資本家は儲けることができます。資本家の視点に立てば、このようなロジックで長時間労働は生まれます。
たいして労働者の側から見ると、労働者は
- 奴隷労働からの自由
- 生産手段からの自由
という2つの自由に縛られ、命じられる長時間労働に従事します。
つまり、奴隷として強制的に働かされているのではないからこそ、自分で仕事を選んだ責任感が芽生えます。加えて、賃労働を行い賃金を手にする以外の生計手段を持たないため、賃労働に依存せざるを得ない状況下にいるのです。
まさに、生きるために生きている。生きることに私たちは依存し、執着しているんだなあ、とそんなことを感じました。
分業と、ブルシットジョブ(クソどうでもいい仕事)の発生
アメリカの文化人類学者デヴィッド・グレーバーは、ブルシットジョブとは社会的に重要ではなく、やっている本人さえも意味がないと思う仕事だと主張しました。これはまさにマルクスの言う労働の疎外であり、仕事にやりがいがなく嫌なものに感じることだそうです。
そしてこれは、人類の社会がここまで発展してきたことに貢献したイノベーションやテクノロジーの進歩により生じたそうです。
労働は、構想と実行のふたつの段階に分離されてしまったと言います。
何を行うか頭で考える構想の段階は資本家が、実際にそれを行う実行の段階は労働者が行っており、労働者が行う業務の内容はテクノロジーの進歩により誰にでも行えるようになりました。労働者はいわば、既にマニュアル化された自分の業務だけをこなす素人集団となりました。
労働者に与えられる賃金は生活のための金額に過ぎず、さらにこれでは何年やっても能力は貧しいままです。かたや資本家は、労働者から労働力を買い資産を蓄えてゆきます。こうして経済格差が生まれます。
資本主義からの脱却
資本主義の社会が人々を苦しめている構造について分析してきましたが、行き過ぎた資本主義は環境破壊の原因でもあるとマルクスは考えました。
資本論の内容とは逸れますが、経済発展と環境が切っても切り離せないのは戦後の日本の状況を鑑みても明らかです。戦後、経済発展を優先した日本のいたるところで有害物質が自然環境に垂れ流され、四大公害を筆頭として人々の健康を大きく害しました。
ここまで見てきた、長時間労働や経済格差の拡大、賃労働者の貧困などの労働にまつわる諸問題や、地球環境破壊の進展。こうした問題は資本主義がもたらしており、マルクスは資本主義を脱却し社会の富を市民の手に取り戻すこと(コモンの再生)を唱えました。
一例として番組では、バルセロナでの市民の動きが取り上げられています。観光客を狙った民泊目的での不動産の購入が進み、地元の人々が家賃の高騰に苦しむという本末転倒な状況だと言います。それに対し、住居をバルセロナ市民の手に取り戻す、という運動が行われているようです。
「100分de名著」マルクス『資本論』シリーズの感想
理想は、貨幣に振り回されない暮らし?
マルクスの『資本論』を解説した今回のシリーズの狙い通りともいうべきか、お金に振り回されて生きるのっていやだな、とシンプルに思いました。
本来お金は異なる商品の価値を置き換えるためのものであったのが、お金がなければ何も手に入れられなくなり、労働をしなければお金を稼ぐことはできず、労働をしても能力は身につかない、そんな社会になってしまいました。お金を商品とする金融業界まで現れ、人間の発想力はすごいですね。
では、お金に依存せず生きるにはどうすればよいのでしょうか。個人単位でそれを実現するには、労働者がもつ2つの自由のうちの後者、つまり生産手段からの自由を克服する必要がありそうです。端的に言うと自給自足の暮らしですか。
自給自足と資本主義と聞いて私が思い浮かべるのは、アフリカ農村部の風景です。自給自足的な農業経営が主流であったアフリカ農村部にも、グローバル化とともに資本主義の波は押し寄せており、病院や学校に行くにはお金が必要となりました。
それを考えると、もはやこの社会で一個人だけでお金を持たない暮らしを貫くのは極めて困難そうです(可能であってもそれを貫き通すほどの熱意は結局のところ今の私にはありません)。
お金のない社会に貧困は存在するのか
お金に振り回されたくない、でも一個人ではそれは難しそう。となるとやはり、社会全体がお金に振り回されない在り方を追求しなければならなくなりそうです。
私には、資本主義でない社会はおろかお金のない社会はなかなか想像ができませんが、お金がない社会って世界を見渡せばあるんじゃないかとなんとなく思います。そこで疑問なのが、お金のない社会にも貧困は存在するのだろうかということです。
衣食住を整えるためにお金が必要でなければ。所有する富を測るひとつの指標なんてなければ。一日何ドルで暮らしているか測ることに意味がなければ。
持つ者と持たざる者の違いは、それほどないのかもしれません。
中途半端ですが、これについてはもっと深く深く想像を続けていきたいです。
まとめ
今回の記事では、NHKの番組「100分de名著」の内容を振り返り、番組を見た感想をご紹介しました。
私たちを取り巻く労働やお金について考えるひとつのきっかけとなりました。この番組を見た他の方々は、どんなことを考えたのでしょうかな。