ベナンから急遽帰国して1か月。
実は今回のベナン滞在では、「ベナンから少し離れたいかも」と思っていた時期がありました。新型コロナウイルスの影響で予定より少し早くベナンを離れる形になり、現在日本からベナンの活動に関わっています。そんな今思う、「私とベナンのベストな距離感」について書きます。
もくじ
余力のある日々を過ごしていたベナン滞在中
JICA海外協力隊の任期を終えてから再びベナンに戻ったのは、2019年10月頭のことでした。「家庭ゴミを収集するNGOを設立して活動する」と決めていたので、ベナンに戻ってからしばらくはまずはNGO登記のために動いていました。
その真っただ中に書いた記事のひとつがこちら↓。メンバーを集めていた時期でした。
こちらの記事でも触れられていますが、きちんとした交渉ができるレベルの現地語が必須なフィールドの実際的な活動で、一外国人としてベナンで活動している私はほぼ役に立ちませんでした。彼らの地元ということもあり、他のベナン人メンバーの方がよっぽどできることが多い。これが実態です。
また、私はこのNGOの活動のためだけにベナンに戻ってきていましたが、他のメンバーには彼らの本業も、生活もあります。私は役に立たないわりには24時間体制で対応可能で、他の仕事もしつつNGOにも関わる彼等に比べて、割ける時間が圧倒的に多かったのです。
NGOの活動以外にも個人で学校巡回を続けていましたが、それでも他に使える時間があったので、家でフランス語や英語の勉強をしたり、NGOメンバーとシェアする動画探しなどをしていました。
ベナンや国際協力から離れたくなったことも
こうして時間的には余裕のある暮らしを送りつつも、NGO登記を終え、活動が少しずつ始まって行きました。
県庁での書類再提出を3回終え、やっと登記が終わったときの記事↓。
自分の勉強のための時間がとれ充実した日々を送っていたのですが、もともとの戻ってきた目的のNGOの活動に思ったほど時間を割いていなかったので、物足りなさがありました。私一人だけでは大したことはできない。そして彼らはなかなか忙しく、私の思うペースで活動を前に進めることができない。
そうして日々を過ごすうちに、「私がここにいなくてもいいんじゃないか?」と思いました。私が仲間と一緒にベナンにいれば、必要な時に私は他の団体や市役所との仲をとりもつことができます。資金面に加え、それが私の現地での存在意義でした。ただ、その「必要な時」に備えて24時間体制で私が物理的に彼らの隣にいる必要はない、と思いました。
勉強がたくさんできるよい環境でしたが、思うようなペースで肝心の活動ができない。そして、私の存在すらもしかしたら必要ではないかもしれない。そう感じて、国際協力やベナンから少し距離を置きたいと考えていた時期がありました。
日本からベナンの活動に貢献している現在
「少し距離を置きたい」。そんな風に感じている時期もありましたが気持ちを改め、「予定していた6月下旬まではベナンでの生活、活動に全力で取り組もう」と考え直してから2週間後、新型コロナウイルスの影響で急遽帰国することにしました。
現在は、ベナンにいる仲間たちから活動での様子を聞きできる限りのサポートをし、またNGOの広報を担当しています。持ちうるすべての時間をNGOに注ぎたい、という考え方からは離れましたが、ベナンにいるときと大きく変わらないほどには関わることがでいています。NGO全体の中での私の存在意義は、遠隔でもできることが多かったんだなあと実感しています。
また、先日ある方と電話をした際にこんな言葉をかけてもらいました。
「りかちゃんの存在意義は、現場の活動に対して貢献できることというより、ベナンの仲間たちの精神的な支えになってるのかもね。困ったときの相談相手というか」
この電話の数日後に、ちょうど活動パートナーから現場の活動に関しての相談を持ち掛けられ、この言葉がすとんと私の中でも腑に落ちたのでした。なぜならその時に彼は、「他の人はよく僕のアイディアを笑ったり反対ばかりするから、リカにまずは聞いてほしいと思って。リカはいつも応援してくれるから」と言っていたからです。
私は彼らのやる気がついえてNGOが消滅するまで、どんな形であれ私は一緒にい続けます。よく考えなくてもわかったことですが、必要とされていないからといってその場を立ち去るほどのモチベーションで彼らと関わり始めたわけではありません。
まとめ 私とベナンのベストな距離感を探る
現地で活動に関わっているときの心境と、日本からベナンの活動に遠隔で関わっている現在思うことを書いてきました。
活動が楽しいだけではなく、ベナンで生活すること自体も私は好きだと思っていました。ですが、ベナンでの生活の楽しさよりも、あくまで活動が好きだから協力隊後に戻ったのだと自覚しました。だからこそ「少し離れたい」と思った時期がありました。
現地に張り付くだけではなく、日本から、あるいは他の国から。
そして広報だけではなく、遠隔でも貢献できる資金調達という役割。
色々な距離で、色々な役割を担いながら、ベストな距離感を引き続き探っていこうと思います。一度後押しした夢を、何十歳になっても後押しし続けるために。