生きてればいいよ!

新卒で青年海外協力隊に参加。帰国後3ヶ月でまたベナンに戻って活動を続けている、そんな若者の生きざま。

このブログのタイトル「生きてればいいよ!」に込めた思い

こんにちは。ベナンに戻ってきてもうすぐ4か月です。

 

ブログのタイトルって、文字通りブログの一番表の顔ですよね。タイトルから何についてのブログなのか分かると、とても便利です。私のブログのタイトルからは分かりませんが…

 

今日の記事では、このブログのタイトル「生きてればいいよ!」に込めた思いについて書きたいと思います。私がベナンで感じていることの濃い部分が詰まっているので、ぜひ読んでいただければと思います。

 

人を死なせた痛みを想像するきっかけとなったニュース

先日、こんなツイートをしました。

 

ベナンで暮らしていると、子供が生まれたニュースと、人が亡くなったニュースをよく耳にします。外国人である私は現地の人たちと比べて知り合いは少ないはずですが、2017年7月にベナンに来て以来、数えてみれば直接の知り合いだけでも7人亡くなりました。

  • 知り合いのお母さんが流産
  • お世話になった家に生まれた赤ちゃんが2か月で死亡
  • 隣人が自殺
  • 一緒に活動する人のお父さんが病気で死亡
  • お世話になっていたおばちゃんが病気で死亡
  • 市役所の職員が病気で死亡
  • 市役所の運転手が病気で死亡

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散歩中に声をかけてくれた人


どの人とも思い出があり、彼ら、彼女らがもうこの世にいないことを思うとまた寂しくなります。挨拶に行くたびに温かく迎え入れてくれて、ごはんをご馳走になったことのある人もいます。また、亡くなった知り合いは7人ですが、バイクの事故でけがをして家で療養したり、入院した知り合いはもはや数えきれないほどいます

 

人が亡くなるニュースと同様に悲しいのが、知り合いが加害者になってしまったケース。JICAボランティアとして市役所で活動していた際の一年目の上司が、2019年12月に人を3人ひき殺してしまったという話をつい先日耳にしました。被害者側の話を聞くと「加害者がこうしなかったのが悪い」などと加害者を敵に仕立ててストレスのはけ口にでもできますが、加害者をかばうことは往々にして難しいです。

 

私の元上司がひき殺してしまった当時の状況を聞くと、夜道を車で飛ばしていて、砂ぼこりのせいでライトをつけても視界が悪かったとか。まさか人がいると思わずに、3人轢いたとのことです。事故は事故なのですが、ベナンでは人を殺すとどんな背景であれ刑務所に収容され、裁判にかけられるそうです。意図的に殺したわけではないのに殺してしまった彼の精神的ショックを想像すると、こちらまで苦しくなります。亡くなった方々の死を悲しむのはもちろんですが、私にとってこのニュースは、事故で人を殺してしまった人の心の痛みを初めて想像するきっかけとなりました。

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交通事故が多い

交通事故でけがをした、とはよく聞きますが、被害者がいるということは加害者もいるということ。身近な人が加害者になったのは、初めてでした。悪気もなく、彼は加害者になりました。このニュースは改めて、「ベナンではいつ死ぬかわからない」ことを実感させてくれました。

 

身近な人たちの命の動きを見て

身近にいる人たちが事故の被害者になり大けがをしたり、事故の加害者になって刑務所に入れられたり、はたまた病気で亡くなったり。周囲で起こるこうした命の動きを見ていて思い出すのは、ベナンの人たちが、大切な家族や友人と接するときのマインドです。

 

親しい人の家には毎日か2日に一度くらいの頻度で挨拶に行き、ちょっと世間話をするのがふつうです。会えないのなら、せめてSNSでやり取りをして、元気かどうかの確認をする。少なくとも私が日本にいるときは友人や家族とこんな高頻度でやり取りをしないので、「過干渉だ」と思って、私はベナンに来た当初ストレスを感じていました。とある家庭には毎日挨拶に行かなければ怒られるようにもなり、しまいにはそれが息苦しくて、その人たちとは疎遠になってしまいました。

www.ricahirao.work

 

おそらく今もまた同じ状況に陥ったら、ストレスに感じてしまうと思います。ですが、先述したベナンでの命の動きの激しさを知った今は、たくさん私を気にかけてくれる人たちのマインドも理解できます。

 

明日死ぬかもしれないのはわかってるのに、死んでから後悔するのでは遅すぎるのです。日ごろから市が近いベナンの人々だからこそ、生きているうちに相手を大切にしようという尊い気持ちが湧き上がるんですね。環境によるものとはいえ、日本で生きていても、本当はいつ死ぬかわかりません。明日が自動的に来るものだと思ってしまいますが、何が起こるかなんてわかりません。「生きているうちに相手を気にかける。死んでからじゃ遅いから」というのはとても素敵な考え方で、私も見習うべきベナン人のマインドのひとつだと思っています。

 

生きているだけで素晴らしい

さて最後に、このブログのタイトル「生きてればいいよ!」に話をうつします。

 

実は、上で紹介した元上司の事故の前から、死を身近に感じることが私には時々ありました。知り合いの死はもちろんですが、私はメンタルが強いとは言えず、どん底になると命すら投げ出したくなる時があります。そんなとき、「すべきだったことができなくても、生きているだけで合格点だから大丈夫だよ」といつも自分に言い聞かせます。

 

真面目な性格の人や、完璧主義者はよく自分を責めネガティブになりやすいと聞いたことがあります。望んでいた通りにできなかったことで自己否定をし、精神も疲弊していきます。生きているからこそ「死にたい」と思えますが、つらいときは休めばいいし、体と心を休ませることで、次なる成長へのエネルギーを蓄えていると考えることが大切ですね。つらくなるまで頑張るのはやめて、たまにはだらだら生きるくらいがちょうどいいです。

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だらだら生きても問題ない


こうしたネガティブな私の慰め方と、ベナンで体感する死の身近さから、「生きてればいいよ」と思うようになりました。生きていることって、当たり前のことながらも実はとても尊いこと。今日も生きて相手と会えることって、実は普通ではないんですね。死は放っておいてもそのうち皆に等しくやって来るので、生きていられる今この時間だけは捨ててしまわないように。自戒も込めて。

 

まとめ

死を身近に感じるベナンで、当たり前だけど気が付きにくいことに気づかされた気分です。

 

生きているだけでいいのです。何かを成し遂げなくても、生きているだけで、誰かのためになっているのです。生きている時間だけは投げ出してはダメ。このブログのタイトルは、そんな意味でした。