生きてればいいよ。

新卒で青年海外協力隊。任期満了後もベナンで家庭ごみ収集屋をしている若者の生きざま。

それって本当に援助慣れを生むの?モノやお金の援助が必要な時とは。

援助慣れ。外部者から援助されることに慣れ切って、当事者が課題解決への主体性を失った状態を指します

 

お金やモノを与えることは援助慣れを生み出すと聞いたことがあったため、JICA海外協力隊としてベナンで活動していて、お金やモノをあげるかあげないか悩んだ場面がありました。

 

今回は、人にお金やモノをあげることについて考えてみました。

 

お金をあげない理由は何?

私がJICA海外協力隊としてベナンで活動していたころ、住民の主体性や現地の在り方に重きを置いて活動している隊員の話をよく聞きました。

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私の職場だったジュグー市役所

中には、「より良いやり方を提案したけど上司からは『お金がない』と言われてそのまま流れた」という声も。当時の私なら「あー、あるよね」などと言っていたかと思いますが、今それを聞いたらおそらく

 

「現地の人にお金がないなら、あなたが出してやってみればいいのでは」

 

と言うかもしれません。(もちろん金額や活動期間にもよります)

 

JICA海外協力隊は手当をもらいながら活動していて、基本的に活動にかかる経費は現地の職場持ちです。原則ボランティア本人が自腹を切って活動するわけではないので、自分が自分の金を出して動くという考え方をしない人が多いように感じます。活動に仕事として取組んでいると言い換えられるかもしれません。

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図書館で折り紙を教える私

先日会った隊員も、一緒に活動しているベナン人らが無給のため、無理を言って隊員の活動に付き合わせることができない、そのため活動が思う通りに進まないと言っていました。生活費をもらいながら働いている隊員の活動に、無給のベナン人ボランティアを毎日付き合わせるわけにはいきません。彼らの生活もあります。

 

「なら、隊員が無給ボランティアに、仕事に見合ったお金を渡すのはどうだろう」

 

と思ったのでそう言いましたが、「村の社会はそうではないんだよな…」といった反応でした。

 

「損得勘定でのやりとりではなく、優しさや人間同士の助け合いが村の物々交換などのベースであって、見合った分に対して払うという合理的なものではないし、その村の在り方を壊したくない…」

 

そんな風に話していたと思います。

 

私はその村に住んでいるわけではないので、彼女が村で感じている温度感への想像力が欠けているのかもしれません。現地の在り方を尊重するのは素晴らしい姿勢だと思います。

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顔の見える村での人間関係は濃い。

実は、私も協力隊時代にともに活動する仲間が市役所の「無給」インターンでした。私は給料というほどはお金を渡していませんでしたが、拘束した時間の分には値する金額を渡していました。これが正しかったのかはわかりませんが、生活の足しになっていたら良いです。

 

お金やモノをあげることが本当に「援助慣れ」を生むのか?

先の例のように「外国人の行為によって現地の在り方を壊したくない」というのも、外国人がお金を出し渋る理由の一つとしてあるようです。

 

また、ベナンで道を歩いていると「白人、お金ちょうだい!」と言われることがあります。外国人はお金を持っているイメージがあり、外国からの援助で保健センターや学校が建設されることもあります。それゆえか、「発展は金持ちにもらえばいい」といった考えを持っている人々が一定数いることは否定できませんですが、それもどこまで本気でそう思っているかは私にはわかりません。

 

www.ricahirao.work

 

そして私は、複数のJICA海外協力隊員の話を聞いていると、この「援助慣れ」につながり得ることを理由として、お金やモノを投入しないケースが多いように思いました。外国人に頼るのではなく、現地の人の主体性こそが持続的な発展を保証するから、と。その通りだと私も思います。

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日本の援助で建てられた学校

ですが、外国人がお金やモノをあげたらすべてが「援助慣れ」につながるとは思いません。

 

たしかに、「お金ちょうだい」と言ってくる子供たちにお金をあげるとその後も「お金ちょうだい」と言われ続けたことがあります。しかし、「こういう問題があるんだけどそれに対処するお金がないからどうしようもないんだ」と話してくる人にお金をあげたら、「ありがとう!神があなたのした出費以上のものをあなたに恵みますように」などの感謝の言葉をもらいました。そういう人たちは「またお金が必要で…」とは言ってこず、むしろ会うたびに「あのときはありがとう」と言ってくれる人もいます。

 

あなたが現地の人にお金やモノをあげないのは、「援助慣れ」につながると思っているからでしょうか。ですが、相手を「受益者」として見るのではなくひとりの人間として見ると、「またねだられるんじゃないか」という心配は、相手を信頼していないということからもしれません。

 

主体性を引き出すだけではなく、お金が必要な支援も確実にある

私が話を聞いた複数の協力隊員の事例では、「現地の人の主体性が持続的な発展につながる」との意見を持っている人が多くいました。私も同意します。ところが同時に、主体性だけでは状況が改善しないことがあることもベナンで知りました。

 

例えばベナンのある村で「食事の前にきれいな水で手を洗いましょう」と言って全員がその必要性を理解したとしても、きれいな水がなければそれができません。

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ベナン北部のある村の風景

この場合に必要なのは、住民の主体性をさらに引き出して井戸やポンプの設置のための積み立てをさせることではなく、まとまったお金がすぐに出せる外国人がお金を出すことだと思います。主体性を活かす前提となる箱モノやインフラがそもそも存在しなければ、行動にはつながりません。

 

まとめ

お金やモノの支援をしない理由としてよくあげられる、「住民の援助慣れを避けるため」という理由。私は、その裏側の本音は相手を信頼していないからだと時々思います。

 

前述の学校や保健センターなどの箱モノや、設置にお金がかかる基本的なインフラが欠如している場合、有効なのは住民の主体性ではなく、外国人が出すまとまったお金ではないか、と考えます。