生きてればいいよ!

新卒で青年海外協力隊に参加。帰国後3ヶ月でまたベナンに戻って活動を続けている、そんな若者の生きざま。

援助慣れを生む援助と、支援における理想の姿勢

 

援助慣れという言葉を聞いたことがあるでしょうか。

 

助けてもらうこと、与えられることに慣れてしまうと、自分で何かをしようとは思わなくなります。私はベナンでお金をねだられるたびに「これまでの外国人は一体何をしてきたんだ?」と思っていましたが、その謎が一部解けたような気分になりました。

 

今回の記事では、西アフリカ・ベナンで感じる援助慣れと、まさに援助慣れを引き起こすことをしているフランス人の方の気持ちについて書いた後、開発援助に関わるうえで現時点の私が理想と考える姿勢について述べます。

 

援助慣れとは

そもそも援助慣れとは、以下のような状況です。

 

先進国がただでいろんなものぼんぼん投入してくれるから、現地の人がそれに頼り切って自分で成長しようとしないよね、というやつ

http://locayrica.hatenablog.com/entry/2016/09/25/121254 より引用)

 

わかりやすい説明ですね。この心理は発展途上国の人々に限った話だけではなく、もらうことに慣れている人は先進国にもいるでしょう。

 

引用先の記事でも触れられていますが、男性からおごられて当然と言う意識の女性も、またしかり。最初から自分で犠牲を払うつもりが感じられないような人たち。

 

西アフリカ、ベナンに行って感じた援助慣れ

さて、私がベナンに初めて来たのは2017年7月。現在は首都から450km離れた町に住んでいますが、ベナンに来た当初は数週間だけ首都近辺に滞在していました。

 

首都近辺にいた間、衝撃を受けたのが「白人、お金くれ!」と子供たちから言われることでした。子供たちだけならまだしも、通りすがりの大人からも「金くれ」とか「金」とか言われました

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道で会う人から、「金くれ」と言われる

私は大学生のときに海外を旅行するのが好きで、発展途上国にもよく行っていましたが、道を歩いているだけで物乞いでない人からお金をねだられたのは初めてでした

 

「『金くれ』と言うことでお金をもらえる機会を作っているのだから、これは現地の人にとっていいことなんだ…」とがんばって違和感と不快感をなくそうと自分に言い聞かせようとした時期もありましたが、無理でした。私は、こうして知らない人から気軽にお金をねだられることは好きではありません

 

他のアフリカの国ではどうか知りませんが、少なくともベナンの、私が住んでいる町では「白人=金持ち」というイメージが蔓延しています。

  • 持っている人から余っている分をもらうくらいいいだろう。
  • 持つ者は、持たざる者に共有すべきだ。

そんな考え方を感じる日々。私も逆の立場ならそう思ったかもしれないし、実際にポケットの中に私財を肥やしているだけよりも、他人のために使ったほうがいい使い道だと思います。 

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ベナンのお金、フランセーファー

そうして先進諸国は発展途上国に支援をするわけですし。税金の一部はODA(政府開発援助)と言って途上国支援に使われますが、それには心理的な抵抗はまったくありません。ですが、個人で来ていて、目の前の個人から「金くれ!」と言われると、「う…」となってしまいます

 

正直、もらうことに慣れ、もらうことを当然と思われると、図々しく感じてしまいます。もし私が多少あげたとしても、明日生きるお金に困るわけではないというのに。

 

あるフランス人が、ベナン人に与え続ける理由

現在私は、間借りしてベナンで暮らしています。家の持ち主はベナン人女性と結婚したフランス人おじいちゃんで、彼は年に一度の数週間だけベナンに来ます。現在そのおじいちゃんがベナンに来ているので、おじいちゃんとシェアハウスをするような形で私はベナンで生活しています。

 

先日、そのおじいちゃんが興味深いことを言っていました。

 

ベナンは1904年から1958年の間、フランスに植民地化されていた歴史があります。すでに独立しましたが、フランス人のおじいちゃんは、ベナンが後発開発途上国のひとつに数えられるのはフランスの責任でもあると考えています。

 

フランスがベナンを搾取した過去があるから、ベナンが独立している今、過去にしたことの代償を払わなければならない。フランス人には、ベナン人の求めに応じる責任がある。

 

そんな風に感じると、彼は言っていました。

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奴隷貿易時代の海岸の門(フランス植民地時代のものではない)

 私と実質シェアハウスをしている期間、複数の女性がこのおじいちゃんを訪ねて家に来ました。夕方頃に家に来た女性たちを泊めてあげて夕食をご馳走したり、帰りのタクシー代を渡していたようでした。また、いつも決まった女性にはフランスからお土産を持ってくるんだとか。

 

おじいちゃんに挨拶に来ればいろいろともらえるから、毎年おじいちゃんがベナンに来るたびにほぼ同じメンバーがお土産をもらいに来るそうです。こういうのって、一般にはシュガーダディと言うのでしょうか。

 

たしかにおじいちゃんから話を聞くと、訪ねてくる女性たちはシングルマザーだったり、病気で目がほとんど見えなかったり、生活に余裕はなさそうな様子。そうしたベナンの人々にフランス人としての責任を感じ、おじいちゃんはお金やモノを渡すそうです。

 

パッションはほどほどに、未来を見ろ

フランス人のおじいちゃんは、もちろん彼のお金の範囲内でプレゼントをします。そのため私が口出しすることではないと思っていますが、ベナンの人々の生活を支えることに責任を感じ、パッションがあるのなら、別のやり方をとったほうが良いのではないかと思います。ベナンで活動している、信頼する団体に寄付をするなどです。

 

よほどの額をあげない限りは、1年に一回だけのプレゼントで女性たちの生活の支えになっているとは思えません。目の前の人、知っている人の力になりたいという気持ちは私もよくわかるし、私もそれゆえわざわざベナンにまた戻ってきた節があります。

 

ですが、憐れんで女性たちにその場しのぎの援助をするよりも、長期的に、未来を見据えて活動している団体などに寄付した方が、よほど意味のあるお金の使い方になると思います。

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ストリートチルドレンの支援団体

パッションは、時に冷静さを失わせます。目の前の人を見捨てることは、たいていの人には難しいでしょう。でも、今日だけその人を救えるお金の使い方よりも、その人の未来まで救えるお金の使い方の方が、賢い気がしませんか。

 

そしてこれは、パッションに燃えている当事者には考えつかないこと。相手にとって本当に意味のあることをするには、パッションはほどほどに、その人の未来を考える姿勢が理想だと私は思います。

 

まとめ

  • 援助慣れとは、他人からお金やモノをもらうことへの慣れ。
  • あるフランス人は、植民地化した過去に責任を感じ、ベナン人にモノを与える。
  • 気持ちは大切だが、冷静な頭で客観的に、最も意味のあるお金の使い道を考えたい。

 

援助慣れと、個人にモノやお金をあげることについて、今思うことを書きました。私もしばしばパッションに燃え、突進してしまうことがあります。ですが、パッションや思いは大切にしつつ、冷静な頭で客観的に作戦を練ることが一番相手のためになると思います。

 

私自身も、精進します。

 

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