生きてればいいよ!

新卒で青年海外協力隊に参加。帰国後3ヶ月でまたベナンに戻って活動を続けている、そんな若者の生きざま。

「食事は外交」から見る、最近の私の対人関係のあり方。

 

「生きることは食べること」と数か月前まで言っていた私がいなくなりました。

 

最近、誰かと向き合っているとき、常に「この人からどんな情報を得られるか?」「この人にどんな風に動いてもらえるか?」ばかり考えています。典型的な例が、「食事は外交」だと考え始めたこと。

 

今回の記事では、「食事は外交」から見る最近の私の対人関係のスタンスについて書こうと思います。

 

交渉したいことがあれば食事に誘え

ことの発端は、1~2か月前に見たネット上の何かの記事。記事には、以下のような趣旨のことが書いていました。

 

“人は、気持ちが満たされているときに提案されたことに承諾しやすい。大事な交渉をしたければ相手を食事に連れ出すのが効果的。”

 

“本当に役に立つ良い人脈はただでは手に入らない。”

 

これらのふたつの考え方に触発され、私はこう考えるようになりました。

 

「相手にタダで動いてもらおうなんて甘い。こちらがまずオープンになり、食事に満足してもらい、本題はそこから」。

 

たしかに、「あれは成し遂げたいけどその代わりとして何も失いたくない」なんて考えるのは甘いですよね。キーパーソンに食事をおごるくらいの経済的負担は負えるのだから負えばよい。

 

ネット上での文句に触発されたのに加え、ベナン人の教育委員長のやり方に感銘を受けたのもあるかもしれません。多くの部下を率いるボスとしての彼の態度は、詳しくはこちらの記事に書いています。

www.ricahirao.work

 

 

 

食事は外交である

そういう経緯で、「食事は外交」と考えるようになりました。仲良くなりたい人は、とにかく食事に誘う。家に呼んで料理をふるまうでもよいし、外でごはんをおごるでも良いと思います。 

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食事は外交である。ある小学校の校長と飲みに行った。

家に呼んだら確実に「私はあなたにオープン!」ということを伝えられますが、たいして仲良くもないのに突然家に招いたら少し相手がひいてしまうことも考えられます。あまり話したことのないうちは、一緒に外食するのが良いと思っています。

 

ある程度話したことはあって、でももっと距離を詰める必要があるときに、家に招くと相手も喜んでくれると思います。家であれ外食であれ、キーパーソンと仕事以外で一緒に過ごす時間をもつこと。これに尽きます。

 

どんなことを考えて人と向き合っているか?

「食事は外交」しかり、今後何らかのかたちで私と団体の力になってくれる人とは良い関係をもっておきたいとばかり思っているので、出会う人々を個々人として見ることが以前より減ったことを自覚しています。

 

シンプルに言うと、友達を求めているわけでなく、活動の可能性を広げてくれる人とつながりたい。まずその人がどんな仕事をしていて、どんな肩書で、何ができるのか?出会う人出会う人、それを探る日々です

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たとえば、ゴミ収集団体の労働者からは何が聞けるか?

協力隊として2年もここで暮らしておきながら、恥ずかしい話、のんびり一緒に過ごす気の合う友達は、私の活動地にはあまりいません。一緒に時間を過ごせる人はいるけど、私もどこか気を張っていることが多いように思います。

 

まとめ

ほとんどの対人関係が、単純な友達関係ではない「外交」と化しつつある現状について書きました。

 

「食事は外交」とは我ながらよく言ったものです。ごはんを一緒に食べるという行為は、たとえ間が持たなくても気まずくなることはないので、外交の場としてはもってこいですね。やっぱり、誘ってもらえると嬉しいし距離も縮まる。

 

ただ、何も気にせずのーんびりできる相手があまりいないので、たまに疲れを感じます。

 

他人を動かすことに関して、こんな本もあります。ご参考まで。