ここ最近、相方のダウダとは私の家で話すことが増えました。
昨日は、これからともに活動する仲間選びに関しての話を中心に1時間ほど議論。ダウダと話していて、同期のある協力隊員の言葉を思い出したので、それについて少し書こうと思います。
「対等な立場で意見を出し合えないと、良い活動はできない」
その同期隊員というのは、アフリカのマラウィという国に派遣されていた青年でした。彼とは派遣前によく話したので、お互いベナン、マラウィに派遣されてからも連絡を取り合うことがありました。
派遣されてから1年半が経った頃だったかと思います。ある日、お互いの活動の話になりました。当時の私にも、現在取り組もうとしていることの構想はあり、ダウダと彼の仲間たちの団体を立ち上げる手伝いをして、彼らがこれからも活動できる場所を作りたいと考えていました。
その話をマラウィの同期にしたところ、「本気で取り組むなら、対等に意見を出してくれる相手とじゃないと難しいと思うよ」と。どうやら話を聞いてみると、
- 信頼していた現地のパートナーがお金をもっていなくなることもある
- 外国人だからといってこちらに遠慮してくる人とは、良い活動ができない
といったことをマラウィで学んだからとのことでした。
お金をもっていなくなったのは彼自身が経験したことではなく、先輩隊員の体験談のようです。「金持ちにつけこもう」という考えも、こちらが外国人だから遠慮するのも、それは対等な関係ではありません。「外国人だからスーパーなアイディアでこの町をなんとかしてくれるだろう。だから彼のアイディアには反対しない」という姿勢では、アイディアを磨くことができないのは明白です。
外国人は魔法使いではないし、外国人のアイディアだからこそ的外れってことも大いにあるわけで。だからこそ私たち外国人は現地の人を巻き込もうとするわけですが、そう思いながらやって来る外国人と、現地の人たちの間には意識の違いがあることがしばしばあります。
今の相方ダウダとの関係
マラウィの同期隊員とやり取りしているときは「そうだよねぇ」くらいにしか思っていなかったのですが、最近実際にその段階に入っていることを実感しており、彼の言葉を思い出したのでした。
私とダウダのやり取りでは、ありがたいことに意見はお互いきっちり言います。相手の言っていることがわかるまで聞き返すし、表現を変えて何度も説明します。主張が理にかなっていないとどちらかが思えば、別の策を探します。
こうして言い合える仲間がいることってありがたいなあ、と思うのでした。それも、そもそも私たち二人は利用しあっている関係だからだと思います。
- 協力隊時代、私はダウダのようなパッションやアイディアに溢れる人間がいなければ、自分のパッションだけでは2年目の活動はほぼ成り立ちませんでした。
- またダウダも、外国人という注目されやすい、話を聞いてもらいやすい特性のある私がいなければ彼のアイディアを彼だけで実行することはできませんでした。
利用しあうと言えば冷たく聞こえるかもしれませんが、事実ですし、私は彼とのそんな関係が好きです。
現地で効果的に活動するうえで、現地の人に寄り添うことは欠かせません。一番身近にいる仲間が、きちんと現地の声のひとつをあなたに届けてくれているか?カウンターパートとの関係を振り返っておきたいものです。