生きてればいいよ!

新卒で青年海外協力隊に参加。帰国後3ヶ月でまたベナンに戻って活動を続けている、そんな若者の生きざま。

完璧主義者だった私が頑張るのをやめて、アフリカで自分を好きになれたわけ

こんにちは。

 

JICA海外協力隊として西アフリカ、ベナンに派遣されていた時間は私にとって貴重な時間でした。迫りくる色々な出来事に対して自分がどう反応するのかに気が付き、それを通して自分をより深く理解することができたからです。

 

自分をより深く理解したところ、私はごりごりの完璧主義者でした。それは、ベナンへ行ってから10か月ほど経った頃の気づきでした。

 

 

完璧主義者である自分に気が付く

ベナンに派遣される前から、遡れば高校生の頃から、私は周囲から「ストイックだね」とよく言われていました。言われても自覚はなく、「ふーん」としか思いませんでした。

 

ところがベナンにいた頃、「生き続けてもどうせ死ぬだけなのに、死ぬまで毎日毎日頑張り続けなきゃいけないなんてナンセンスだと思うほど完璧主義に苦しめられ、「人生とは苦しみである」みたいな仏教の文句に心から共感するほど苦しんでいました。

 

思えばベナンに派遣されてから初めの10か月間、「理想の協力隊像」を追い求めてだいたいいつもエンジン全開で頑張っていました。私にとっての「理想の協力隊像」とは、
  • ベナンの人たちと仲良くする
  • 毎日ぎゅうぎゅうに予定を入れるくらい活動を頑張る
  • 色んなことに挑戦する

などでした。

 
ベナンでの自分の振る舞いは理想とは程遠いところばかりが目について、自分のありのままでいるのはただの妥協としか思っていませんでした。
 
そんな時カメルーン人の友人と話していて、自分の性質が何かを考えるきっかけをもらいました。彼は彼の性質を「好奇心」だと言っていましたが、私は、私の性質は「不満足」だと思いました。というか、普段自分を否定して理想にばかり目を向けすぎていたので、自分自身がどんなだったかよくわかりませんでした。けれど、私は決して自分に満足することがないことだけはわかりました。
 
100のうち80ができていても、できていない20を見て完璧主義者は「失敗した」と考えます。私は、典型的な完璧主義者でした。
 
 
頑張るのをやめた
当時の私は、ベナンになじもうとかなり頑張っていました。
 
小中高で水泳をしていた時も、大学で休みの度に海外に繰り出していた時も、頑張っていなかったのに。水泳も旅も楽しくて好きだったからやってただけで、全く頑張ってなんかいませんでした。
 

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私はこれまで、楽しいから突き進んできた。(大学時代のフィリピン旅行)
 
だからもう、理想を追いかけて頑張るのはやめることにしました。理想に届いていないありのままの自分も受け止めて、私は自分を好きになりたかった。結果、理想を目指して頑張るのをやめたら、気持ちは楽になりました。
 
私が思ってもみなかったことでしたが、完璧にこなさなくていいと思うと、自然と色々やってみる気になりました。失敗が怖くなくなったから、挑戦することに対してハードルが下がりました。
 
「外を歩きまわってベナンの人たちと仲良くしないとダメな協力隊員だ」という強迫観念を原動力にそれまでは散歩しまくってきたけれど、みんなにいい顔して無理して挨拶するのを投げ出したら、気持ちが軽くて余裕で外をうろちょろできるようになりました。「地域の人に挨拶しなきゃダメな協力隊員だ」という強迫観念もしかり。
 
結局のところ、「◯◯しなきゃダメだ!」という考えを捨てたところで、声をかけてくれる人たちとも、私の名前を呼んでくれる子供たちとも自然に笑い合えたし、自分を否定しすぎていたんだと知りました。
 
自分の否定を前提に理想しか見てなかったけど、ベナンの人々との関わり方に関しては、私のありのままでも理想に近かったことがわかりました。そんなこと、あの時の私は夢にも思いませんでした。

 

 

頑張るか、頑張らないか

人が成長するにはふたつのやり方があると思います。

 

一つ目は、自分を追い込んで自分の理想に近づく方法。

二つ目は、楽しくてやっているうちに理想にたどり着いちゃう方法。

 

どっちがいいでしょうか。私は、断然後者派です。だって、楽しいほうが苦しいよりも私は好きだから。短絡的すぎでしょうか。

 

私は嫌いな場で頑張るより、楽しい場でのびのびと色々なことを吸収していきたいのです。これからも。