生きてればいいよ。

新卒で青年海外協力隊。任期満了後もベナンで家庭ごみ収集屋をしている若者の生きざま。

イスラム教アハマディア派の方々

イスラム教は聞いたことがあってもアハマディア派を知っている人は少ないのではないでしょうか。

 

愛知県津島市に、アハマディア派のモスクがあります。先の記事にモスクを訪問した時の様子を書いたのでそちらもぜひ読んでください。 

www.ricahirao.work

 

私にはアハマディア派の友人がいますが、その人はこれまでの人生で出会った人たちの中で、私に最も影響を与えた一人でもあります。そんな人が信じるアハマディア派の生き方や考え方を多くの人に知ってほしいと思い、この記事を書いています。

 

イスラム教アハマディア派とは?

19世紀にインドで興ったアハマディア派は、イスラム教の中の新興宗派で、イスラム教扱いされておらず、迫害されている立場です。

 

例えば、イスラム教徒同士の挨拶はよくアラビア語で「アッサラームアライクム」と声をかけますが、もしアハマディア派信徒が他イスラム教徒のようにアラビア語を口にしたら、彼を起訴して良いことがパキスタンの法律では許されているそうです。


その他、

  • 政府機関で働いているアハマディア派信徒にはいわゆる「ガラスの天井」があり、ある程度までしか出世ができない
  • アハマディア派のモスクに石を投げられる
などがあると、友人は教えてくれました。

 

なぜそのような扱いを受けるかと言うと、メシア(救世主)に関してアハマディア派とその他の宗派で決定的に考えが異なるからだそうです。ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒らが天にいると信じている救世主が、アハマディア派ではすでに降臨したとされています。それが、アハマディア派を興したミルザ・グラーム・アハマドという人です。

 

預言者ムハンマドはかつて、イスラム教は最初の300年間は勢力を拡大し順風満帆だが、その後は最悪な神学者らが増えて凋落の時代に突入すると預言しました。彼が言った「最悪な神学者」が、コーランを誤って解釈し聖戦と称して殺人をする現代の「イスラム原理主義者」たちにあたります。また、ムハンマドはイスラム教の凋落の時代を救う救世主が来ると預言していました。アハマディア派ではその流れの中で、アハマド氏が救世主だと信じています。

 

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では救世主は同一の人間に違いないと考えられている中、アハマディア派では救世主は同質の人間ならば有り得ると考える点で、確かに水と油の違いです。

 

アハマディア派が大切にする精神

アハマディア・ムスリム協会がスローガンとして掲げるのは、「誰も憎まず、すべてに愛を」。この言葉を見るたびに、アハマディア派の友人が私にしてくれたことを思い出します。


私が風邪をひいて体調を崩していたとき、「風邪の時はビタミンをたくさん摂取するといいよ!」と言ってオレンジを20個も持ってきたり、1Lのフルーツジュースを5本も持ってきてくれたり。彼は大きな大きな愛のかたまりです。

 

アハマディア派信徒によるNGO Humanity Firstは、阪神淡路大震災、東日本大震災などの際に被災地での配給や家の片づけ等、私たち日本人を支える活動をしてくれていたそうです。(私は調べるまで知りませんでした)


というのも、彼らは国への愛は信仰の一部であると考えているから。日本に住ませてもらっているから、日本に良いことをするのは当然だそうです。

 

寄付はイスラム教ではとても大切な行為だとされており、アハマディア・ムスリム協会が世界中で担う学校建設病院建設はアハマディア派信徒たちの寄付により賄われています。信徒らは毎月、自分のお財布事情に合った金額を協会に寄付します。

 

協会に寄付したり、孤児院に50㎏の米を寄付したり、風邪の私にオレンジを20個くれたとしても、アハマディア派の友人はまるでそれが当たり前かのような顔をしているだけで、まったく恩をおしつけません。

 

彼曰く、イスラム教では「右手で誰かに与えたら、左手では忘れろ」と言うらしく、売った恩に執着しないことが説かれているそうです。ただし、受けた恩は忘れず、必ずその恩に報いるようにとも言われます。

 

他にもアハマディア派の生き方で私が好きなことが色々とあります。

例えば、平和を愛するところや、自分の信仰を他人におしつけないところ。生きるコーランのような人たちなのに、「まだまだ自分にはできていないこともあって…」ととても謙虚なところ。

f:id:RicaH:20220220112926j:plain

アハマディア派モスクでの心休まる時間


イスラム教は、人間が神に近づくために精神面のトレーニングをする宗教だと友人は教えてくれました。アハマディア派は、異端として不当な扱いを受ける立場。だからこそ、痛み、苦しみ、悲しみを経験・理解し、強く優しい人たちなのだと思います。