生きてればいいよ!

新卒で青年海外協力隊に参加。帰国後3ヶ月でまたベナンに戻って活動を続けている、そんな若者の生きざま。

ボランティアとしてベナンで活動していた私も、ベナン人を見下しているかもしれないと思った

私はJICA海外協力隊の制度を利用して、西アフリカのベナンで2年間活動していました。


ボランティアとして派遣されている人たちはきっと素晴らしく利他的で、現地の人たちと上手に仲良くやっていっているんだろう… 

そんなイメージを持っている人もいるのではと思います。

 

ですが、少なくとも私はそんな素晴らしい人ではなく、ベナン人にこっぴどく怒られることもあったし、ただ自分の意見を押し付けて相手の気分を害したこともありました。現地の人たちと、常に良好な関係を持てていたわけではありませんでした。

 

そんな、特に人間関係でもがいていた私が最もつらかったのは、怒られたことでも馬鹿にされたことでもなく、私自身がベナン人を見下していることに気が付いたことでした。

 

侮辱されて、とっさに思ったこと

ベナンに行ってから半年が経った頃のことです。その日私は、よくお世話になっていた友達の家に挨拶に行きました。
すると、普段は家にいないお兄さんがその日たまたまいて、外国人の私に興味を持った彼が話しかけてきました。私が日本人だと知ると彼は、SNSで拡散されているある動画を私に見せました。

 

動画では、3人のアジア系の男の子たちがジャンケンをして、負けた一人が残りの二人に頬を思いきり叩かれるという遊びをしていました。
動画を見終えた私にお兄さんは、
「これ日本人でしょ? 日本人って暴力的だもんな。」
と言いました。

 

その挑発に私は簡単にのりました。

「日本に来たことあるの?」「誰か日本人の友達がいるの?」「日本の何を知ってるの?」と聞いても、彼は苛立つ私を見てへらへら笑っているばかり。相手は全く真剣ではないのに私だけ異様に興奮していて、惨めでした。

 

へらへらする彼を見て、私は言い返そうとしました。

「暴力的なのはあんたらアフリカ人でしょ。いつも紛争ばっかりして、教育もまともになってなくて、他人にお金ねだってばっかりで、だから君らはずっと貧乏なんだよ」と頭に一気に思い浮かびました。

幸いしたのが、当時の私のフランス語力のなさ。相手への怒りや憎しみに満ちた精神状態で、思ったことを表現するフランス語はスムーズにでてきませんでした。

 

結局その日はそれ以上その場にいると手が出そうだったので、家に帰りました。

日本に来たこともない人に日本人を侮辱されたことへの怒り、それに対し何も言えなかった悔しさ、そして「ベナンのために」と口では言いながらベナン人を見下している自分の本音に気づいた悲しさでいっぱいで、しばらく家のトイレで泣きました。

 

 

市役所の同僚にぶつけた気持ち

以前の記事で紹介した、私がベナンで感じていたストレスたちと合わせて、この出来事について市役所の同僚に話しました。ですが、ベナン人を見下す感情がそのとき湧き上がってきたことは怖くて言えませんでした。

 

ricahirao.hateblo.jp

 

私がベナンでどういうことに傷つき、腹を立てているのか一通り聞くと彼は、 

「外国人は珍しいからみんな話してみたいだけで、悪気はないんだよ。でももし僕が何かして、それによって君が嫌な思いをすることがあったら、行動を正すから言ってほしい」

と優しく言ってくれました。どれだけその言葉がうれしかったことか。

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右の人が、私の話を聞いてくれ、優しく声をかけてくれた人

こうして私を個人として尊重してくれる彼も含め、ベナンで時間を過ごすうちに生活面、活動面でお世話になるベナン人が増えていきました。

それにつれて、「アフリカ人」とひとくくりにするのはおろか、「ベナン人」とまとめるのすら失礼じゃないかと思うようになりました。

 

個々人の名前を知り、性格を知り、家族構成や悩みや恋愛事情を知るにつれて、私にとって彼らは「ベナン人」ではなく、一人一人のそれぞれの名前を持った人間になっていきました。すると、自然と「ベナン人ってこうだよね」という考え方、言い方はしなくなりました。

 

個々人を見るというのは、人と人とが関わるときの最も基本的な姿勢の一つだと思いますが、肌の色や見た目、国籍が違うだけで人はどうして相手を先入観に満ちた眼差しで見てしまうのでしょうか。

 

 

とはいえベナンで2年を過ごし、多くの人々を知った今でも、もしまた日本や日本人を侮辱されたときに自分の心がどう反応するのか、確証は持てません。

 

もうくだらない挑発にはのらない自分でいてほしい。

怒りに身を任せて何でもかんでも言ってしまわない自分でいてほしい。

その人のその言動が好きではないとハッキリ言える自分でいてほしい。

 

私の心がどう動くのか、自分でもわかりません。